■文化の直訳

ある時、パーティーに招待されました。会場には、たくさんのオーストラリア人が集 まっていました。バイキング形式のパーティーで大きなテーブルには、豪華な御馳走 が所狭しと並べられてありました。いよいよパーティーが始まり、主催者の日本人は流暢な英語で来賓に挨拶を行っていました。

彼は、「それでは、皆様、何もございませんが、どうぞお召し上がり下さい」という言葉でスピーチを締め括りました。私達、日本人には、聞き慣れたフレーズでしたが、オーストラリア人の間に一瞬、当惑の表情が見られました。私の近くにいた小学生ぐらいの男の子は、母親に"What!?"と 小声で尋ねてたしなめられていました。その後、すぐ拍手がおこり、何事もなかったようパーティーは、楽しく終わりました。

オーストラリア人を惑わせた彼の言葉には、明らかに日本の謙遜の文化が現れています。私達日本人は、より丁寧であるために、(1)相手を高めることはもちろん、(2)自分を低める(謙遜)、という行動をとります。沢山ある御馳走を「何もない」と表現し たのは、「謙譲の美徳」の文化に育った日本人には、ごく自然なことに思えますが、 へりくだる事によって相手を高めるという「謙遜の概念」がないオーストラリア人に とっては、理解しがたいことだったのでしょう。
 
また、日本人が人にプレゼントを手渡す際、よく口をついて出てくる表現があります 。「つまらない物ですが、、、」「大したものじゃないんだけど、、、」「こんなもの、気に入ってもらえるかどうかわからないけど、、、」等の表現です。これらの謙遜行動は、日本では、目上の人に向かって行われるだけではなく、親しい間柄でもごく一般的に見られます。しかしこれもまた、謙遜概念のない文化の中で使われると、 丁寧でありたいと願うこちらの考えとは裏腹に、大変気まずい雰囲気になってしまう ことも多々あります。実際、この謙遜行動が仇となって、プレゼントをもらう側のオーストラリア人が怒りだしてしまったという例もあります。彼らは、プレゼントを 「つまらない物」などと言わず、丁寧な場合には、"I hope you'll like this."と言 ったり、また親しい間柄になると"I'm sure you'll love this."(これ絶対、気に入るよ!) などと言うこともあります。
 
 
 ■オーストラリア人の行動が私達日本人に理解しにくい場合
 
一方、オーストラリア人の行動が私達日本人に理解しにくい場合もあります。

こちらに来て間もないころ、私も上の例のオーストラリア人のように当惑して言葉に詰まったことがありました。ある時、オーストラリア人の友達と話していました。そ のうち、彼女の娘さんの話しに話題が移りました。私が、「いいお嬢さんですね。」 と娘さんの事を誉めると、その友達は、「ええ、全くその通りです。彼女は美しくて 、学校での成績も抜群によくできて、その上スポーツチームのキャプテンも務めてい るんですよ。夫も私も、彼女の事を本当に誇りに思っています。」というような反応が返ってきました。誉め言葉に対する反応が、私の日本語的常識からかけ離れていて 、私は一瞬、その先どう会話を進めるべきか迷ってしまったのです。日本人同士での この様なときの典型的な会話のパターンはおおよそ次のようなものでしょう。

(1) A:「誉め言葉」
(2) B:「誉め言葉に対する(一応の)否定」
(3 )A:「Bの否定に対する否定( + 謙遜を含めた更なる誉め言葉)」
(4) B:「Aの誉め言葉に対する消極的な肯定」
 
このような会話のやり取りに慣れ親しみ、当時、このパターンを潜在的に期待していた私には、(2)を全く逸脱したオーストラリア人の反応から(3)以下の会話パターンの修正を迫られ、どこまで誉め続けるべきなのか、と戸惑ってしまったのです。その時は、(3)、(4)とも、誉め言葉の同意とその確認で会話は次の話題に移り、ほっとした ことを記憶しています。また内心、自分の娘を他人の前で誉めちぎる親の態度が当時 、何だか非常に不自然にうつったことも覚えています。
 
なにげない会話の中で突然生じる当惑や不自然な感情、更には誤解まで引き起こしてしまうコミュニケーションギャップの原因には、言語能力より文化の違いが障害となっているようです。それでは、その文化のいったいどのような点が違うのでしょうか。それを少しでも理解することによって、新たに起こりえるコミュニケ -ションギャップを防ぐことができます。上の三つの例をとって日本人とオーストラ リア人の会話の進め方を比べてみることにしましょう。
 
基本的に日本人、オーストラリア人共に、互いに協調しあってコミュニケーションを なめらかに進めようとしています(Grice 1975)。要するに、誰も相手を不愉快にして やろうというような意図は無いということです。日本人の例(パーティー、プレゼン ト)から見られるように、私達は会話をしている相手を誉めたり、また自らを謙遜することにより、自分が相手を尊重していることを表現し、スムーズな会話の流れを計 ります。(もちろん、人を誉める行動は、日本人だけに限らず他の文化でもよく見ら れます)

それに対し上にあるオーストラリア人の誉め言葉に対する反応は、どこ に協調の意図があるのでしょうか。彼らは、相手の言ったことに対し自分が賛成なら 明らかな同意を示し自分が相手を認めていることを表わし、それによって会話をなめ らかに進めようとしているのです。ですから誉め言葉に対し、実際、自分も「いい娘だ」と思っているなら、むやみにそれを否定することは、会話の円滑な流れを阻害する事につながるのです。こうしてみていくとそれぞれの文化に応じて「会話のエチケ ット」があることがわかります。
 
私達は外国語を使っていても、知らず知らずのうちに母国語の文化フィルターを通し、それに沿った「会話のエチケット」を適用しながら発話を行ったり、反対に発話された内容を評価、判断してしまうことがあります。その結果、文化の直訳ともいえる行為がなされ、何となくギクシャクした会話になってしまうのです。このような文化の直訳による誤解や摩擦を起こさない為にも、その国で使われている言語だけでなく会話のエチケットという文化フィルターも是非一緒に身につけたいものです。
 
*H.P. Grice (1975) "Logic and Conversation"
[真理子先生の言葉教室 1]